「今までお世話になりました」
そう言いながら配って回る、退職前の恒例行事が無事に終わった。
その一連の挨拶回りの中で、私は自分の内面にある「嫌な部分」をまざまざと見せつけられることになった。
それは、思いのほか大多数の人たちが、私のこれからの人生を温かく応援してくれたという事実によってもたらされた。
「退職する人を応援するなんて、普通のことじゃないか?」と思われるかもしれない。
しかし、私の中にはどこかで
「退職=悪いこと」
「仲間を切り捨てる裏切り行為」
という根強い思い込みがあった。
そのため、「残される側から嫌われて当たり前だ」という前提が脳内に深くインプットされていたのだ。
もっと簡単に言えば、会社にいる「自分以外がすべて敵に見える」ような状態だった。
しかし、いざ辞める日が近づき、会社の人たちから個別で贈り物やメッセージをもらったり、
「今までありがとう」
「次も頑張ってね」
という純粋な善意を向けられたりしたことで、私はハッとした。
私が勝手に感じていた「他者からの悪意」は、ただの私の思い込みだったのだと気がついたのだ。
これはきっと、心理学でいうところの「投影」というやつなのだろう。
本当は、私自身が他者に対して「まだこんな会社にいるなんて」という冷ややかな目を向けていたのだ。
しかし、その黒い感情を認めるのが怖いからこそ、
「相手が自分を冷たい目で見ている」と他人に感情をすり替え、自分を“被害者”の立場に置くことで自己防衛を図っていたのだと思う。
あるいは、ごく数人が向けてきた「悪意の目」や「無関心」を過大に捉え、
残りの全員も同じように私を嫌っていると、勝手に世界を塗りつぶしていただけなのかもしれない。
そのことに気がついてから、ふと「外の世界って、自分が思っている以上に優しいのかもしれない」と思えるようになった。
私が見ている世界は、ありのままの事実ではなく、
「自分がそうだと思い込んでいるフィルター」を通した世界でしかなかったのだ。
そうなると、今までの会社生活の中で私が「嫌な対応をされた」と感じていた出来事も、実は意味合いが全く違っていたのかもしれない。
私が勝手に悪い方へ、敵意がある方へと歪めて捉えていただけのことも往々にしてあるのだろう。
私の思い込みのフィルターを外したとき、本当の世界の形は、一体どんな風に見えるのだろうか。
会社を去る直前にして、少しだけその景色を見るのが楽しみになっている自分がいる。

