今の私は「人間関係の構築が、面倒くさい」
それはいつかは崩れるもので、結局振り出しに戻ってしまうから。
明確な用件や理由がない限り、誰かと話すことすら億劫になってしまった。
しかし、なぜ私はここまで人間関係を「崩れるもの」と諦観しているのだろうか。
振り返れば、昔の人間関係は散々なものだった。
自身のADHDやASDといった特性も大きく関係しているのだが、当時の私は本来の自分を抑え込み、常に合わせ。
毎日毎日、疲れて帰っていた。
しかし、私はこの「過去の経験から得た散々な結果」を「これからの人間関係の当たり前」として勝手に片付けてしまっているのではないかと感じたのだ。
今の私は昔の私ではない。
幼少期より自分の特性に対する理解も深まり、あの頃よりは多少なりとも上手く対処できる術も身につけている。
だとしたら、「過去の失敗」が「これからの結果」であるとも限らない。
正直に言えば、今でも人と関わるのは怖い。
傷つくのは嫌だから。
けれど、傷つくことを恐れてすべての関係をシャットアウトしてしまうのは勿体ないと、感じる。
無理に交友関係を広げる必要はない。
ただ、「どうせ上手くいかない」と最初から心のシャッターを下ろして接するのは、少しやめてみようかと感じた。

