5年前の私は、10キロから20キロにもなる重いカメラ機材を背負って移動するのが当たり前の日常だった。
もちろん当時も肩は凝ったし疲れはあったが、
「まあ、仕事とはこういうものだ」
とあっさり受け入れられるだけの若さと、一晩寝れば元通りになる回復力があった。
しかし、その魔法はとっくに切れてしまったらしい。
年々、重い荷物を持っての移動が物理的に厳しくなっているのを肌で感じている。
片道2時間以上もかかるような遠征ともなれば、目的地に到着した時点ですでにライフはゼロに近い。
肝心の「本番」の用事が始まる頃にはクタクタになっており、気力だけで乗り切らざるを得ないことが増えた。
先日、久しぶりに片道2時間程かけて都内へと足を運ぶ機会があった。
この日持ち歩いていた荷物は、およそ3キロ程度。
かつての荷物に比べれば、羽のように軽いはずの重さだ。
にもかかわらず、私は完全に打ちのめされた。
長時間の電車の揺れと箱の中に詰め込まれる人、人、人。
それらにじわじわと体力を削り取られ、帰路につく頃には心底「もう無理だ」と悲鳴を上げていた。
さらにショックだったのは、あの日から数日が経過したというのに、鉛のような疲労感が一向に抜けないことだ。
自分の体力の減少具合と、回復力の著しい低下に、ただただ圧倒されている。
この重苦しい疲労の底で、私はふと世間の人々に思いを馳せた。
毎朝あの地獄のような満員電車に揺られ、片道1時間や2時間の通勤を何十年も当たり前のように続けている人たちは、一体どういう体の構造をしているのだろうか。
移動だけで疲弊する環境の中で、そこからさらに「仕事」という本番を戦い抜き、また同じ時間をかけて家へ帰る。
その異常なまでのタフさには、もはや畏敬の念すら抱いてしまう。
毎日あの過酷な通勤ルートをこなし、社会を回しているすべての人たちへ。
心の底から「毎日お疲れ様です」と伝えたい。

