先日、独立してやっていきたいという事を相談した知り合いから、こんな言葉をかけられた。
「そのままのあなたで居られる練習をしたらいいと思うよ」
その瞬間、私の頭の中には無数の「?」が渦巻いた。
知り合いの前の私って、無理をして媚びを売っていたっけ?
というか、「そのまま」ってつまり「素の私」のことだろうか。
だとしたら、今、この人と向き合っている私は「素」ではないということ?
そもそも、いまの私は果たして「素の私」なのだろうか?
考え出したらキリがない。
私は以前から、「そのままの自分でいいよ」といった類の言葉をかけられると、途端にパニックに陥りがちなところがある。
「自分自身でさえ、何が素の自分なのか分かっていない」からだ。
自分が一番生きやすい状態こそが「素の自分」だとは考えている。
でも、そうなると「マイペースに、自分のやりたいようにやっている時」だけが該当するのだろうか。
だとしたら、気を遣ったり、緊張したりしている時の私は「偽物の自分」なのだろうか。
そんなふうに考え始めると、もう意味が分からなくなる。
しかし、冷静になって考えてみれば、相手の言葉の意図はもっとずっと単純なものだったはずだ。
「他人への警戒心を解いていい」
「人見知りして気を張らなくていい」という、
ただそれだけの意味合いでの発言だったのだろう。
相手が投げてくれたのは、とてもシンプルで温かいアドバイスだった。
それなのに、それをうがった見方で捉え、曲解し、裏の裏まで勘ぐってしまう「私自身の思考の癖」が、言葉を不必要にややこしくさせているのだ。
シンプルな真意をわざわざ複雑な迷路に迷い込ませて、自ら本質を遠ざけているのは、他でもない自分自身だった。
言葉の裏を読むのをやめて、ただ「そのまま」受け取る練習。
それこそが、今の私に一番必要なことなのかもしれないと気づかされた出来事だった。


