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つぶやき日々の出来事

数十年ぶりに「忍たま」を観たら、自分の存在意義を見失って号泣した話

つぶやき

先日、映画『ドクタケ忍者隊最強の軍師』を観てからというもの、すっかり忍たまの世界にハマってしまいました。

小学生以来、数十年ぶりに再開したアニメ視聴。
数話分を溜めて一気に観る事にしたですが、視聴後に猛烈な「虚無感」に襲われてしまいました。

本来、このアニメのメイン視聴層は小学生です。
私もかつては、彼らと同じ目線でワクワクしながらテレビにかじりついていました。

画面の中では、当時と変わらない姿の乱太郎、きり丸、しんべヱたちが、くの玉の女の子たちと賑やかにわちゃわちゃしている。 最初は「懐かしいな」なんて微笑ましく観ていたのですが、ふと冷静になった瞬間、自分とのギャップに言葉を失いました。

アニメの中の彼らは、数十年の時が経ってもずっとキラキラと輝き、裏表のない純粋さで人生を謳歌している。 対して、現実の私はどうだろう。

数十年という月日を経て、いつの間にかこんなにも愚かで、濁った大人になってしまった。

その日は、マッチングアプリで会う予定が重なっていたりして、精神的にもかなり「グロッキー」な状態でした。
マチアプならではの、「打算や条件」が渦巻く大人の人間関係に疲れている時だからこそ、余計に彼らの「損得勘定のない純粋な友情」の眩しさが刺さったのかもしれません。

彼らの裏表のない輝きに触れた瞬間、「私にもあんな時代があったんだ」という郷愁と、「今の自分はいったい何をやっているんだろう」という自己嫌悪が混ざり合い、気づけば涙が止まらなくなっていました。

特に、昔と変わらないオープニング曲が流れた時は、当時の記憶がフラッシュバックして聴くのが辛くなりました。

「この子たちみたいに、私も外の世界を純粋に楽しんでいた時期があったんだな」

そう思うと、今の自分がどうしても好きになれなくて、ひどく嫌気がさしてしまったのです。

アニメを観て癒されるはずが、まさか自分の生き方を根本から問い直すことになるとは思いませんでした。 大人になってから観る『忍たま乱太郎』は、ある意味でどんなドラマよりも、今の自分を浮き彫りにする鏡のような作品なのかもしれないです。

ただ、その後に思いました。

「あんなに純粋だった頃の自分」を思い出して涙が出るということは、私のどこかに、まだあの頃の感性が死なずに残っているということではないか、と。

今の自分を「嫌いだ」と思えるのは、心の奥底で「本当はもっとこうありたい」という理想や、あの頃の自分に対する誇りを捨てていない証拠なのかもしれません。

それなら、今の「汚れてしまった自分」も、必死に大人の世界を生き抜いてきた結果なのだと、認めてもいいのかなと思えるようになりました。
損得勘定や世間に揉まれながらも、こうしてアニメを観て心を動かされている。

その「泥臭さ」こそが、私が大人として生きてきた証なのだと。

アニメの中の彼らは、ずっと変わりません。
でも、私は変わります。

今の自分は、あの頃思い描いたキラキラした大人ではないかもしれないけれど、
それでも、時々子ども時代の世界に帰ってきて、心の洗濯をしながら不器用なりに「大人の人生」を謳歌していこうと思います。

画像引用:https://www.nhk-character.com/character/nintama/

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