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自分の頭で考える事

つぶやき

私は以前、論理的な文章を長く書いている人を見て、憧れていた。
こんなに長文なのに、論点がずれず、物事を論理的に考えられるのはすごいと思った。
自分も頭がよく見られたいからという理由で、書いたりしていた。

だけど最近は、感覚的に、似たような論理的見解の文章であっても、その人本人の頭で考えていないのでは?
と思うことが増えてきている気がする。

それは自分の目が肥えたのかもしれない。
興味が移ったのかもしれない。

またはチャットGPTが台頭してきたことで、
GPTの情報を転写し「自分は頭を使っている」という気になってしまう人が増えたからかもしれない。

以前の様な記事に深みを見いだせないことが増えた。
なんなら、主観的に、自分の内面と向き合われている記事の方が、よっぽど「考えられた」内容に感じる。

ここで私が言いたいのは、今一度、自分の頭で考えた上で、どれを文章にしているのかを見つめなおしてみないかといった事が言いたい。
「みんなが言ったから、内輪でそうなったから、これが正解だし、私はその考えになっている」
という思考に陥っている可能性を疑ってほしい。

それに気づく事は、
プライドも自分自身が傷つく事だけど
今わかれば、将来の自分の思考や本来の考えの豊かさは守れるんじゃないかと思う。

ここまで書いて、結構ズレたことを言うんだけど、私はよく、文章では大それたことを言う。
大人ぶって、全てを理解したみたいな口ぶりをする時がある。

でも実際は自分の精神状態が悪い時期はこんな考え方も出来ないし、幼児の様な感情任せな行動を取る事も多い。

だけど、一瞬でも大人の自分がそう考えて記事を書いて
幼児の自分が見返して、冷静になれるキッカケが欲しいから、私は文章を書いている。

誰かの為になったら、なお嬉しいけど、そこに依存したくはない。

本質的には、常に一人でいることを、受け入れる必要がある。
最初は寂しくても、将来的にはこの考えのおかげで救われる気がする。

だから私は自分を信じる努力もしたいし、自分と共に存在する努力もしたい。

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