「自分の性格が悪いな…」
そんな言葉を、YouTubeでもブログでもよく見る。
私も定期的に思っている。
特に女性って「共感のフルマラソン」みたいな社会にいるから、こういう自己嫌悪を言いがちだと感じる。
群れの世界では“共感能力”が入場チケットみたいなもの。
だけど、その本音とズレたことを思ったりすると「私ってひねくれてる?」と自己判定してしまう。
この話は女性に限らない。
日本は“大多数=正義”の国だから、男性でも心当たりあると思う。
自分の中の少数派意見が顔を出した瞬間「性格悪っ」と自己採点してしまう仕組み。
でもさ、みんなそんなもんだよ。
というか、性格悪いと思える時点であなたは性格良い。
本当に性格が歪んでる人は、自分の悪さに気づけないから。
それに日本人って危機管理能力が高すぎる民族なので、まず「否定」から入るのは、もはや伝統芸じゃん。
言ってしまえば“性格の悪さ”ですらこの島国の標準装備である。
だいたい、人って生きてるだけで誰かに迷惑かけてる。
絶世の美人でも聖人でも「存在が鬱陶しい」と思われる瞬間は必ずある。
存在する為に税金を払っているし、もはや「生きてるだけで加害者」まである。
そんな環境で、性格が悪くならない方がおかしい。
それでも、これが現代社会の処世術だし「そんなもん」で全然いい。
ただし、性格を悪化させ続けると遠ざかるものがある。
それが“本質的な幸せ”。
じゃあどう折り合いをつけるか?
その方法はシンプル。
「自分以外も抱えている悩み」を、自分のペースでボランティア的にサポートしてみる。
私の場合は、駅前のゴミ拾いとか雑草抜き。
家族の笑顔を見るのも“ボランティア枠”に入れていいと思う。
昔は福祉施設でボランティアもしてみたけど、…私は、全然向いてなかった。
善意にも適性ってあるんだなと悟った。
だから、自分に過剰な負荷がかからない“小さな奉仕”でOK。
お金が絡まないほうが、自分の潜在的な欲求も静かに満たされるし、心も軽くなる。
「私、性格悪いだけの人間じゃなかったわ」と気づけるから。
(スモールステップなら献血、一生勧める。)



