退職のキッカケを色々振り返ってみると、心の奥底にずっとこびり付いている、ある言葉に行き着く。
それは、私にとって今の会社に見切りをつけるキッカケの一つでもありました。
以前、会社で比較的大きな案件があり、プロジェクトチームを決める機会がありました。
その時の上司がエース社員に放った言葉がいまだに頭を離れません。
「仕事の出来る人だけでチームを組みたい」
結果として、私はそのチームに選ばれることはなく、華やかな企画は私を置いて進んでいきました。
残された私が担当したのは、方針転換前の古い仕事や、専門性もなく、誰でも出来る雑用業務。
その時、私は「ああ、自分は仕事の出来ない人と見なされているんだな」と、はっきり実感させられました。
その頃から、私は社内で窓際社員に近い扱いを受けてきたと感じています。
だからこそ、今回退職を社長に伝えた際に返ってきた「辞められると困る」という言葉には、ひどく白けてしまったのです。
私がいないと困る。
それは決して、私という「個人」の能力を評価しての言葉ではありません。
人手不足の時に、とりあえず空いた穴を埋める要員がいないと困る。
大きくはないけれど、誰かがやらなければならない小さな雑務を押し付けられる人材がいなければ困る。
要するに、「都合のいい補欠」がいなくなると困る、という言葉でしかないのでしょう。
アメリカの野球では、自分がメインで活躍できる見込みがなければ、自らチームを去るのが当たり前という風潮があるそうです。
仕事においても同様で、会社に合わないと判断されれば、すぐに契約を切られるシビアな世界です。
これらは第一に「無駄を省く」という会社側の論理が理由だと思います。
しかし見方を変えれば、「補欠でいる時間は無駄である」という考え方でもあると思うのです。
有名なチームで万年補欠としてベンチを温めるくらいなら、無名のチームでもスタメンとしてメインで活躍する方が、間違いなく自分自身の経験になります。
仕事でも、使えないと見なした者を飼い殺しにするくらいなら、さっさと契約を切って次の場所を探してもらった方が、結果的に相手の有限な時間を奪わず、能力を殺さないためになるという考え方もあるはずです。
もちろん法律や雇用の前提が違うのはわかっています。
しかし日本には、いざという時に動いてもらうための「待機要員(ベンチを温め続ける補欠)」という立場が、悪びれもなく確立されている気がしてなりません。
私も結局、この会社にとっては「いざという時のためのベンチウォーマー」という立ち位置だったわけです。
でも、そこにずっと甘んじていることを、私自身のプライドが許しませんでした。
誰かの都合の良い待機要員として、自分の大切な時間をすり減らしていくのは真っ平ごめんです。
あの時の上司の言葉は、私に自分の立ち位置を残酷に教えてくれました。
でも今思えば、その時のショックと悔しさが、「自分のためにここから抜け出そう」という理由の一つになったのだと思います。

