私という人間としては、あまり友人という者を必要としていない。
しかし、経済的に生きていくうえで、人との繋がりは大変大切なものだと感じる。
そして自分が死にゆく時、身内は全滅だろう。
その時のためにも託す人が必要だと。(助けてくれる保障もないけど…。)
それ故に友人を必要に思ったのだが、どうしても気乗りしない自分がいる。
その理由の一つとして、「外的存在は自分の思想を歪む危険がある」というのは大きな理由だと感じた。
私は人の声に心の揺らぎ、影響を受ける。
元々外的要因にかなり敏感だし、外にいるだけで自分という個が捻じ曲げられる感覚がする。
それが、とてつもなく混乱する。
この世の中には正解は一切存在しないと、私は感じている。
故に私にとっての正解は、「自分が後悔をしない事」に一点集約している。
そのためには、いつも自分の気持ちを感じていなければいけない。
だけど、私は自分というものが頻繁に分からなくなる。
意識して自分を見ていないと、あっという間に消えてしまう灯のようだ。
故に、外に出て、周囲の気を受けると元々見えにくい「自分」が更に霞んでいく感覚がある。
それが物凄く怖くて、生きる指針を失ってしまうと感じるのだ。
友人という関係性であれば、相手の言葉の重みは自分にとって強くなる。
それは相手のことも知っているし、私にはない経験もしているし、何より信頼するからだ。
しかしそれらを受け続けると、私はその友人の言葉を、自分の思想と勘違いし始めてしまう。
それが、凄く困る。
自分の主導権が他者に取られていて、
生きる意義が他者軸になってしまう感覚がある。
それゆえに、私は友人を作らない。
というか、自分の考えを守るために作れない。
友人が欲しいけど作らない。
理由の一つです。

