突然だが、私には「自分自身が考え行った発言には、従わなければならない」という考えがある。
故に学生時代から、よく言われることがある。
「色ちんは言ったことを本当にやるから、驚く」と。
これは良い事だけではない、悪いことだって含まれる。
私は昔から、他人の軽口を超真面目に捉えてしまうという癖があった。
たとえば、「将来的には○○になりたい」と言われれば、
「この人はその未来のために今を生きているんだな」と心から信じてしまうのだ。
たとえそれが、その場のただの夢でしかなかったり、希望的観測にすぎない言葉だったとしても、だ。
そして結果的に、多くの場合その言葉はなかったことになる。
「○○になりたいと言っておきながら、何にもしてないじゃん」
今思えば、そんなのは当たり前のことである。
ただ、幼少期の私は特に人の言葉を真っ直ぐに受け止めてしまう人間だった。
そうやって「期待しては裏切られる」ような肩透かしを何十回もくらい続けた私は、
「人の『やる』は、『やらない』宣言なんだ」と捉えるようにした。
しかし、そのとき味わったショックは想像以上に心に残っていたようで、私は自分の口にする「なりたい」や「やりたい」には、責任を持つようになった。
「自分の言葉は偽らない」
そうした行動様式が、過去の経験によって強化されたのだ。
傍から見ても、そして自分で見ても、この姿勢は結構な褒め要素ではあると思っている。
……が、同時にこれは、自分自身を強く縛り付ける呪縛でもある。
自分が言葉に責任を持ち、その縛りの苦しさを実感したからこそ、ようやく気がついた。
人に「なんで自分で言ったことをしないんだ!」と咎めるのは、相手を過度に追い詰める言葉であると同時に、ナンセンスなことだったんだな、と。
そんな、今日この頃のボヤキである。

