また別で本の感想自体は書くのだけれど、
今回はHSPについての本を読んで、個人的に思ったことを書いていく。
最初にぶっこんでいくと、HSPと言われる人の特徴の多くは、実は結構みんなに当てはまるものなんじゃないかと思ったのが正直な感想だ。
もちろん全く持っていない人もいるとは思うけれど、元々持っていない人の方が少ない気がする。
でも、世の中うまくやっているように見える人が多いのはなぜか。
それはきっと、自分の心を「鈍らせないとやっていけない」からだ。
成長していく中で起きる様々なドラマの中で、諦めたり、許したりした結果、心を鈍らせて「一般」になることができた人が大半なのだと思う。
だからと言って「自分はHSPだ」と言う人を否定するわけではない。
実際にHSPの特性は大人になっても変わらないと言われている。
では、大人になってもHSPと言われる敏感さを持ち続けている人はどういう人なのか?
それは恐らく、「自分の感性に肯定的な要素を見出している人」なのだと思った。
芸術的な良さを人より感じられる喜び。
人の心を深く知ることができる強み。
自然の美しさをより感じることのできる繊細さ。
そういう「敏感さゆえの恩恵」を肯定できていて、かつ、その感性を手放すことを惜しいと思っている人が、「自分はHSPだ」と認知しているケースが多いのではないだろうか。
正直なところ、HSPの特性はこの世界においてネガティブな要素になりがちだ。
大前提として、自分の特性が不利になる仕事が、あまりにも多すぎる。
たとえば、能力が同じ二人がいて、海の中で魚を捕まえる仕事をすることになったとする。
しかし、持っている得意な道具はそれぞれ違う。
一人は「モリ」の人。
一人は「料理用包丁」の人。
この場合、海に潜って多くの魚を捕れるのは当然「モリ」の人だ。
ここから「包丁」の人が努力して、モリの人と同じ数の魚を捕ろうとするのは相当大変で、苦しい道のりになる。
それならいっそ、海には入らず、捕まえてきた魚を「捌く」ポジションに回った方が、圧倒的に上手くいくし楽だと思うのだ。
これと同じような「道具のミスマッチ」が、HSPと一般の人の間で起きていて、それが生きづらさに繋がっているんだと思う。
もし自分の特性を上手く使うことができれば、一気に逆手に取って武器にすることができる。
だから、そういう場を自ら選んでいくしかない。
自分の感性に肯定的な要素を見出せる能力があるのだから、無理に槍を持とうとせず、自分の力が使える分野へ舵を切ってみるのも悪くないんじゃないか。 そんなことを思った。

