「私は特別だ。だから“本当の自分”を知れば何かが開くはずだ。」
そんな期待で始めた自己分析。
今思えば、あの頃の私はほんとうに可愛かった。
ぬるま湯に浸かりながら“深い顔”をしていた無知な自分。今なら湯船ごと止めたい。
私はずっとこう思っていた。
「私は“何者かもしれない”。だからこんなにつらい人生だった。でも本当の自分を知れば、輝く未来がある(キラキラ)」
誰かあの頃の私を本気で止めてくれ。
そこから約2年。
私は本気で自己探求に取り組んだ。人格、気質、幼児期、親子関係、才能、役割、使命──片っ端から掘った。
そして今の私は、ようやく「腑に落ちた」。
諦めではなく、納得だ。
ただし、想像よりずっとグロテスクな種類の真実だった。
私は結論した。
「私の存在に、意味はない」
私が生まれた理由は「親が自分の人生を豊かにするため」。
つまり私は、“壮大な世界のピース”でも“選ばれし存在”でもなかった。
よくYouTubeでは言われている。
- 「あなたには生まれた意味がある!」
- 「あなたにしかできない使命がある!」
ない。
もう一度言う。
ない。
私じゃなくていいし、代替可能だし、役割ガチャでは凡人だった。
期待も“特別感”も、自己探求の過程ですべて没収された。
でも副産物もある。
ひとつだけ良かったのは、 老子の言葉が少し理解できたことだ。
昔「老子とか難しすぎw」と思っていたが、今なら少しわかる。
- 「無でいいじゃん」
- 「自然体でいいじゃん」
- 「そもそも意味を欲しがる執着が苦しみじゃん」
老子は多分、そういう世界に早々と到達していたんだなと思う。
その時に読んだ本の感想はこれ ↓

【投げやり読書感想文】自分とかないから|色ちん
知り合いから頂いた本です。 その知り合いとは縁を切りましたので、早々読んで記憶から消そうと思います。 乗っけから中々な始まりですが、書いていきます。 この本は東洋哲学が元となっている本との事ですが私はこの本を読むまで東洋哲学という言葉を知り...
ここで多くの人が思うだろう。
「じゃあ悟った方がいいじゃん?」
いや、人による。
希望を燃料に走れる人は、わざわざ深淵を覗かない方がいい。
深く潜りすぎると“真実”に到達してしまい、戻れないことがある。
知識は時に麻薬だ。
だから私が言いたいのはこれだけ。
自己探求は、ほどほどに。


