以前読んだアドラー心理学の本に、「弱者ほど強い権力を持つ者はいない」という趣旨の記述があった。
私は、この考えに強く同意している。
今の日本は、この「弱者の権利」が行使されすぎている社会なのではないだろうか。
波風を立てず、理不尽を飲み込み、弱そうな立場の人には甘くする。
そんな日本人的な優しさが、あちこちで悪用されているように思えてならないのだ。
こうした振る舞いの裏には「自分が弱者になったときも同じように許してほしい」というお互い様な心理も働いているのだろう。けれど、今の社会でその考えを貫くのは、もう限界に来ている気がしてならない。
そもそも、人間としての価値はみな平等であるはずだ。
だからこそ、相手の属性によって態度をコロコロ変えることこそ、かえって相手を自分より下に見ているようで、私には失礼なことのように思えてしまう。
もちろん、体力的な差や置かれた状況への配慮は必要だ。しかし、自分が非のあることをしておきながら「弱さ」や「立場」を盾にして許されようとする、その狡賢さまで受け入れるのは、やはりどこかおかしい。
それに、理不尽を飲み込んだ被害者は、後になってから気心の知れた相手にその負の感情をぶつけてしまう。
それは結果的に、自分自身の身近な環境を悪化させるきっかけにもなりかねないと思うのだ。
他人を思いやれる真っ当な人が、損をする社会にはなってほしくない。
「やられたら、やり返す」
子供の頃は当たり前だったことが、大人になった途端に「黙って飲み込むのが正解」とされることには、どうしても納得がいかないのだ。
声を上げてしまう私は、世間から見れば「大人げない」人間なのだろう。
けれど、どうしても悔しいのだ。善い人が割を食う世界が。
優しさとは、ただ沈黙することなのだろうか。
それとも、きちんと声を上げることなのだろうか。
私は今も、その答えを探しながら生きている。


