最近、どうしても体力が持たず、心身ともに限界を感じていた。
そこで、一度自分の欲に正直になり、「欲しいものを我慢する」のをやめてみることにした。
もともとの私は、いわゆる「汚部屋」の住人だった。
しかし、物に囲まれていると決断力が鈍り、疲れやすくなることに気づいてからは、その反動でミニマリストのような暮らしを送り始めた。
ただ、あまりにも「物がない生活」を意識しすぎたせいか、いつの間にか日々の暮らしが修行僧のような禁欲生活に変わっていたのだ。
「このままでは精神が持たない」という危機感に突き動かされ、私は久しぶりに物質的な欲求を解放してみることにした。
選んだのは、ガチャガチャ。
思い切って3回、回してみた。
お目当てのものが当たったわけではなかったけれど、どれが出ても嬉しいと思える自分がいた。
「私、生きてる」
そう感じたのは、久しぶりだった。脳内に快楽物質が駆け巡る感覚。
そのおかげで、その日は一日中ハッピーに過ごせたし、いつもより機敏に動くことさえできた。
「単純すぎるだろう」と自分でも呆れたが、その即効性は凄まじかった。
今も、その時当てたグッズを持ち歩いては、眺めてニヤニヤしている。
自分が思っていた以上に、私は「欲しい」という気持ちを抑え込み、自分を型にはめていたのだと痛感した。
ミニマリストになってからは、「必要なものだけあればいい」「将来の糧になる勉強にだけお金を使おう」と、効率と合理性ばかりを優先してきた。
もちろん、その考えも大切だ。
けれど、結果として私は「生きることの彩り」まで削ぎ落としてしまっていた。
これでは、いざメンタルに不調をきたしたとき、自分を救うための「心の遊び」がどこにも残っていない。
そのことが、今は何より恐ろしいと感じる。
無駄を徹底的に排除した先にあるのは、余白のないカチコチの精神状態である。
本来、人生を豊かにするのは「役に立つもの」ではなく、こうした「心が動く瞬間」の積み重ねだったはずだ。
しかし自分を律するためのミニマリズムが、いつの間にか自分を追い詰める凶器になっていた。
今回の経験で分かったのは、「我慢」や「節約」は、自分が元気な時にこそ機能する「攻めの姿勢」だということ。
エネルギーが枯渇している時に必要なのは、ストイックさではなく、むしろ自分を甘やかすための「消費」や「浪費」という名の特効薬なのだと思う。
これまでは、買い物をすることを「欲に負けた敗北」のように感じて、意地を張っていた部分があった。
けれど、本当に立ち行かなくなる前に、こうして自分の欲に手を伸ばせて良かった。
これからは、合理性だけでは測れない「自分のご機嫌」も、大切に持ち歩いていこうと思う。


