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つぶやき

「愛」という言葉が、ゲシュタルト崩壊を起こした日の話

つぶやき

キリスト教信者の方が書いた本を読んでいた時のことだ。
ページをめくるたび、「神は愛をもってあなたに〜」という言葉が並んでいる。

あまりに「愛、愛」と繰り返されるので、私の中で「愛」という概念がゲシュタルト崩壊を起こした。

「愛って、なんだ?」

現実的に考えるなら、「相手の好きな部分も嫌な部分も受け入れたうえで、トータルで『好き』が上回っている状態」なのだろうか。
束縛ではなく、心から相手の笑顔を願えるようなもの。
わが子への無償の愛も、その一種なのだろうけれど、どうもピンとこない。

ただ、ふと思った。
自分が幸せで満たされている時、私は自然と周囲に対して博愛的な気持ちになれる。
もしこれが「愛情」なのだとしたら、それは対象への想いというより、自分自身のコンディションの問題ではないか。

結局、私が辿り着いた考えはこうだ。
「自分の徳になることが、そのまま相手の徳にもなっている状況」
それを、愛と呼んでいるのではないか。

たとえ自分が多少の不幸を背負ったとしても、それが相手の利益になり、相手の喜ぶ姿を見ることで結果的に自分も満たされる。
そこに満足感が生まれるなら、一つのwin-winは成立している。

文字にすると少し不健全にも思えるが、構造としては理解できる。

ごちゃごちゃ考えてきたが、そもそも私は「愛」という概念を神格化しすぎていたのかもしれない。

散歩中、楽しそうな知らない犬を見て、自分の心までパッと明るくなる。
その「眼差し」自体を愛情と呼んでいいのなら、私はとっくに愛を経験している。

関係性や契約ではなく、自分が世界をどう見ているかという「状態」そのもの。

……やっぱり概念が大きすぎて、最後まで完全には掴めなかった。

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