「将来は自分の好きなことを仕事にしたい」
そう考えたことのある人は、決して少なくないと思う。
私ももちろん、その一人だった。
そして私は、趣味であったイラストや、デザイン、カメラを仕事にした。
自分の「好き」を職業にできたことには、今でも大変な誇りを持っている。
しかし最近、それを仕事にしたからこその弊害を感じるようになった。
それは、残酷なまでの「飽き」だ。
もともとは高い熱量で臨んでいたはずの業務なのに、明らかにどこかで力を抜くようになった。
以前なら楽しいと思って時間を忘れてのめり込んでいた作業も、今では自分から無理やりスイッチを入れない限り、ただ苦痛を伴うだけの時間になってしまった。
以前はすんなり通っていた案も、通らなくなる。
他の人の案が採用され、自分の業務には何度も何度も修正の指示が返ってくる。
おそらく、ここで「なにくそ」と奮起できれば、この職業は本当に自分に合っていたのだろう。
逆境を跳ね返せるだけのエネルギーこそが、クリエイティブに対する熱量がある何よりの証拠だからだ。
しかし、今の自分にはそれだけの気合が、もう残っていなかった。
「もう、やりたくない」
それが、心から漏れ出た偽らざる本音だった。
好きな仕事をあえて選んだことの弊害を、痛感した瞬間だった。
最初の熱量が高ければ高いほど、それが冷めきったときの落差はひどくなる。
情熱を注げるものを仕事にするのは素晴らしいことだけれど、その情熱が枯渇したときのダメージは、対象が「大切な好きなもの」である分、深く抉られるように痛いのだ。
昨今「好きを仕事に」という言葉をよく耳にするが、ただ「好き」という感情だけで仕事を選ぶのは、少しリスクが高い気がしている。
逃げ場だったはずの趣味が義務になり、心の癒しだったものが苦痛に変わってしまうからだ。
それならばいっそ、自分の本質的な特性や性格を冷静に熟考し、それに適した「とりたてて強い感情を抱かない仕事」を選んだほうが、結果として心穏やかに長続きするのかもしれない。
「好きであること」よりも、自分の性質に逆らわず「安定して継続できること」のほうが、生きていく上での仕事としてははるかに重要なのだと、30歳を迎えた私はひしひしと感じている。

