「罰せられたい」のかもしれない。
深層心理のどこかで、自分を罰してほしい、お前は間違っていると言ってほしい、価値がないと罵ってほしい……そんな思いを抱えているのではないか。
ふと、夜中にそんなことを考えた。
私はブログで、書かなくてもいいようなことまで、あえて曝け出してしまう癖がある。
それによって受ける誹謗中傷は、もちろん怖い。
けれど、どこかで「そう言われても仕方ない」と思いながら書いている自覚もあるから、いざ叩かれても言い返す言葉が見当たらないのだ。
恐れているはずなのに、どこかでそれを求めている。
「自分は何もかもが間違っている」と突きつけられたい。
けれど、それ以上に「これが自分なのだ」と認めてほしい。そんな矛盾した思いを抱えながら、私は筆を動かしている。
こんな馬鹿正直に、自分を切り売りする人間もそういないだろう。
それでも書いてしまう。いや、書かなければいけないのだと思う。
誰かを不快にさせたいわけではない。
けれど、それ以上に自分自身に嘘をつくことだけはしたくない。
だから私は、社会的な建前をかなぐり捨ててネットという舞台に躍り出ては、どうしようもない本音を語ってしまう。そんな自分は、きっと罰せられるべき人間なのだ。
本質的に、私は「空気を読む」ことも「常識になぞる」こともしたくない。
自分のやりたいようにやる。そんなふうに和を乱す自分が、社会から抑圧されそうで怖くて、同時に、たまらなく誇らしい。
「みんな仲良く」なんてできるはずがない。
「友達100人」なんてできるわけがない。
けれど、この日本という社会では、そうした建前を演じられなければ生きていけない。
だから、社会不適合者である私は、一度罰せられなければならないのだ。
罰を受け入れ、その代償を支払ったとき。
私はようやく「これが私だ」と胸を張って、自分の人生を生きる権利を手にできる気がしている。


