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つぶやき

「人嫌い」の言葉の裏にある愛への渇望

つぶやき

あるゲーム配信者が、生放送でこんなことを言っていた。

「人嫌いなんだけど、(現実のアイドル)推しのお陰で生きられている」

それを聞いて、私は少し首をかしげた。

では、なぜ生放送で人と会話をするのだろう。
そもそも人嫌いなのに、現実に推しがいるのは矛盾していないだろうか。
少なくとも、視聴者としての感覚ではそう思えた。

私にとっての「推し」は、昔から二次元のキャラクターだけだ。
変わらない存在だからこそ、安心できる。

彼女の言葉の裏にあるものは何か

その配信者のチャンネルには、基本的にYESと言う人しか残らない空気がある。
そんな環境で発せられる「人嫌い」という言葉。

その裏には、いくつかの意味が含まれているのではないかと考えた。

① 愛されることへの愉悦

「私は誰も愛さないけれど、そんな私でもいろんな人に愛される」

愛を与える側ではなく、受け取る側であり続けること。
そこに快感や優越を感じている可能性。

② 支配や優越感

嫌いな人間に雑な対応をしても、それが許される立場であること。
あしらうことのできる側にいるという感覚。

③ 人に期待してしまう自分への否定

「それでも人に期待してしまう」自分を認めたくなくて、「人嫌い」と言ってしまう。

私が一番しっくりきたのは、これだ。

「そんな心ない私でも愛して」

人嫌いという言葉の裏にあるのは、愛への渇望ではないか。

人を嫌うと言いながら、誰かには認められたい。
親から得られる愛情を、無意識のうちに視聴者に求めているのかもしれない。

もし「人嫌い」という言葉の奥にあるものが「それでも愛されたい」という叫びなのだとしたら、それはどこか人間らしい矛盾なのかもしれない。

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