今の時代に求められているのは、自分を器用に「分ける」ことができる人なのだろう。
情報発信の世界で名を馳せている人の多くは、自分自身やコンテンツを、用途に合わせて鮮やかに「切り分けられる」人たちばかりだ。
けれど私は、昔からこの「分ける」という行為がどうにも苦手だ。
かつてSNSを使っていた頃、私もコンテンツを使い分けようと試行錯誤したことがあった。
しかし、どうしてもどちらかに比重が偏ってしまう。
一方で愛想を振りまきながら、もう一方で鬱屈とした感情を吐き出す。
そんな風に自分の「感情の筋」を曲げてまで振る舞うことが私にはできなくて、結局、SNSそのものを辞めてしまった。
今は、この切り分けが上手な人ほど伸びていく時代なのだろうと思う。
タイパやコスパが最優先され、興味のないことに時間を割くのが「ロス」だと切り捨てられる世界だからだ。
それでも私は、不要なものを削ぎ落としすぎる今の風潮に、どこか違和感を抱いてしまう。
一見すると無駄に思える「余白」の中にこそ、本来得られるはずの学びが潜んでいる気がしてならない。
世の中から余白はどんどん失われ、それが当たり前の景色になっていくだろう。
だからこそ、私は意識的に「余白」を持って生きていたい。
数年が経ったとき、「あの経験が良かった」と穏やかに慈しめる記憶は、きっとそんな余白の中から生まれてくるものだと思うから。


