最近、自分自身に観念することが増えた。
自分の見たくない部分とも向き合うようになった中で、かつて周囲から言われたこともある「アセクシャルなのでは?」という疑問に、一旦の終止符を打つためにこの文章を書く。
事のきっかけは、恋愛を終えた私に、母親が「人を好きになるということが分かった?」と聞き、私が「分からなかった」と答えたことだ。
その時の母親は、諦めに近いような、言いにくそうな顔をしてこう言った。
「ずっと、もしかしてと思ってたけど……アセクシャルだと思う」
思い返せば小学生時代。
周りがアイドルや芸能人に熱を向け始めた時期から、私にはそういった類への興味が一切なく、「恋」という感情の意味が分からなかった。
周囲の様子を観察して「好意を抱くこと」なのだと理解し、人としての尊敬や「カッコいい」という感情を当てはめて、私の中で「恋」と「好意」を同義にしてやり過ごしていた。
しかし中学、高校と進むにつれ、周囲との感情のズレは肌感覚で明らかになっていく。
恋愛感情が分からない。
恋バナに心からは共感できない。
それでも笑顔で同意し、話を合わせた。
だって、それが「普通」なのだから。
そして、28歳。
それまで一切の恋愛イベントを起こさないまま生きてきた私は、周囲がどんどん結婚していく様子を見て焦りを感じた。
取り残されたくないという寂しさと孤独感から、伴侶を見つけようと躍起になり、婚活を始めた。
結果として同棲まで経験したが、上手くいかなかった。
理由は色々あったけれど、根本的な原因は、私が最後まで恋愛感情というものを理解できなかったからだ。
なぜその人を選んだのか。
今思えば、そこにあったのは感情ではなく、頭で考えた条件だった。
「顔がいいから」
容姿の良い人と一緒にいることは、自分にも相応の価値があるという証明になる。
並んで歩いて見栄えがいいし、より男女の仲らしく、「恋愛している感じ」がする。
性格は良くも悪くも、毒にも薬にもならない人だったから、この人なら何とかなると思ったのだ。
過去にテレビで「恋愛は洗脳状態と同じ」と聞いたことがあった。
だから、「自分はこの人に恋をしている」「関係を続けるためなら何でもできる」と思い込んで生活していれば、いつか本当の恋愛になると思っていた。
そこには、常に恋愛をしようと必死に努力する自分がいた。
その結果、恋人期間4か月で終了。
自己洗脳にも限界があった。
別れた後、「きっと他に良い人がいる」「まだ出会っていないだけ」と慰められたが、ここまでやってみて、それは違うとはっきり言える。
私には、恋愛感情が「ない」のだ。
いくら普通の足並みを揃えようとしても、根本が違うものは違う。
3本脚の人間が、2本脚の人間と同じように歩こうとしたって、絶対にどこかで不都合が生じるのと同じだ。
ここまで足掻いて、揃えようと努力したけれど、それは本来の私ではなかった。
だから、もうそれで良いと受け入れる。
3本脚であることに引け目を感じないで生きる。
これも自分の個性だし、それが分かっただけでも大きな成長だ。
じゃあこれからずっと一人で生きていくのかと聞かれたら、それはあまりに寂しすぎる。
孤独が嫌いだからこそ、今まで必死にみんなに合わせてきたのだから。
でも、もう無理に足並みは揃えない。
自分の歩幅で必死に生きていれば、きっとそんな私と出会ってくれる人がいると思うから。
だからとりあえずは今までの人々に感謝をしながら、自分も労わろう。
よく頑張った、自分。
蛇足
正直自分はアセクシャルであろうが、なかろうがどちらでも良い。
だから今後、恋愛サイコー!と言っていたら笑ってくれ。


