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「嫌いなタイプ=自分説」エニアグラム沼を泳ぎながら思う。

エニアグラム

本物のエニアグラムをかじって以来、SNSにあふれる「私はタイプ○○!」という自己紹介を見るたび、なんとなく胸の奥がザワつく。

いや、別に悪い意味じゃない。
ただ、自分自身が「自認はあるけど理解は拒んでいる」状態だから、余計にその“自信満々な自認”が眩しく見えるのだ。

で、思った。
本当に自分のタイプを知りたければ、「一番言われて嫌な説明文」を選べ。
これ、案外まちがってない。

私もエニアグラムの沼を右往左往してきたが、最終的にたどり着いたのは「一番嫌だったタイプ」だった。
えぇ、そうです。認めたくなかった現実、まさかの“そいつ”が私でした。
だからプロフィールに自認タイプなんて書けたもんじゃない。
他人がそのタイプでもなんとも思わないのに、自分がそれだと言われると途端にモヤモヤする。
この不思議な葛藤こそ、エニアグラムの真骨頂なのかもしれない。

一度、「いや、現実の私はそこまでダメじゃない」と言い聞かせてみた。
やると決めたことはちゃんとやり遂げている。
……けど、やっぱり性格の“嫌な部分”を突かれると、逃げたくなる。
そこにあるのは、まぎれもない「自分」なのだ。

そして私はまた、反芻思考のループへ突入する。
ネガティブ感情をぐるぐる噛みしめる反復横跳び。
ただ、今回は違った。
これは「自分を否定する」ためじゃなく、「自分を認める」ためのループだったのだ。

何度も同じことを考えているようで、実は少しずつ視点が外に出ている。
ふとした瞬間、狭い主観の殻を破って、客観的に物事を見られる瞬間がある。
その時、「あ、成長ってこういうことか」と思う。

……まあ、そう思うようにしてるだけかもしれないけど(笑)。

結局、嫌な自分を受け入れる過程そのものが「人間らしさ」なんだろう。
今日も私は、自分という生き物を観察しながら、
「これも成長ってことでヨシ!」と水道水を啜るのである。

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