私には、他人にとやかく言う権利も、会社や政治に楯突く権利も一切ない。
正確には、発言する「自由」はあっても、それを現実に反映させる「権利」までは持ち合わせていないのだ。
相手の施策に対して「理解できない」と感じることはよくある。
けれど、それを口にして相手にどうこうしてほしいわけじゃない。
文句を言ったところで、私にそれ以上のことは何もできないからだ。
ならば無駄な労力は使わず、限界まで耐えながら、別の場所へ移るための基盤を作る。
それが一番穏便で、確実な方法だと思っている。
不満が溜まったときに行使できる唯一の権利は、その場から立ち去ること。
私の持つ「権利」は、自分という人間にしか適用できないのだ。
人に相談したり、お願いをしたりするのは苦手だ。
だからこそ、情に訴えて上手く世渡りをする人を見ると、どこか「ずるい」と感じてしまう。
言葉が引き起こす反感や、結果として誰かが去ることになる後味の悪さを知っているからこそ、その影響力が恐ろしい。
「いなくなればいい」と思っても、それを実際に口にすれば事態は動く。
そして良かれ悪しかれ、誰かが必ず割を食うことになる。
先日、さらに上の権力を利用して、上司に圧力をかけている人を見た。
自分の手は決して汚さず、外圧を操る姿。
卑怯だと思いながらも、それが世間に受け入れられていることへの羨ましさと、言いようのない苛立ちが同時に湧いてきた。
自分の放った言葉に責任を持たない振る舞いが、私の心をざわつかせる。
そして私自身もまた、その重すぎる責任を負いたくないがゆえに、「沈黙」を選び続けているのかもしれない。

