慣れからくる怠慢で、ミスをしてしまった。
その時、真っ先に頭に浮かんだのは「この私がミスをするなんて…!」という自分へのショックだった。
自分が悪いのは百も承知だ。
それでも、ミスを自分自身で受け入れるのが、苦しいったらありゃしない。
何よりも、これを上に報告して頭を下げなければいけないという事実が、あまりにも屈辱的に感じた。
「なんで私が謝らないといけないんだ」
頭では理解しているのに、どうにも心が納得しようとしない。
「自分のプライドが許せない」という感情はこういうことなのだと、嫌というほど実感した。
私の中には、「頭を下げる=相手より自分のほうが下であると認めること」という極端な思考の癖があったのだ。
失敗を失敗と認めたくない自分。
そんな自分の器の小ささを客観的に見て、「浅はかだな」と思う。
けれど同時に、「馬鹿みたいに真面目だな」とも分析してしまった。
なぜなら今回のミスは、隠そうと思えば全然隠せるようなものだったからだ。
「失敗を隠蔽したいプライド」と「持ち前の真面目さ」
この二つが私の中で激しい葛藤を起こしていた。
結果として私は、上に報告し、頭を下げることを選んだ。
プライドの高さより、自分自身に対する「誠実さ」を優先したのだ。
一時的な屈辱から逃れて自分に嘘をつくより、誠実でいる方が、将来的に自分の自尊心を大切にできる。結果として、自分のことを好きでいられると無意識にわかっていたからだ。
ひとしきり感情を堂々巡りさせた後、「出来事を憎んで人を憎まず」という言葉を頭に掲げることで、ようやく感情の終着点をつけることができた。
正直、今回の件で自分の「プライドの高さ」をはっきりと可視化できたのは、すごく大きな収穫だった。
以前は、この厄介なプライドをどうにか弱めようと努力していた時期もあった。
でも、いくらやってもプライドが下がるというより、自尊心が落ちていくだけだった。
だからこれからは、プライドを下げるのではなく、「高いプライドに見合う人間になった方が早い」と思うことにした。
さらに、今回のように「事象」と「感情」を切り離すスキルをもっと磨いていけば、今後はもっと自由で、偏見のない表現ができるようになるかもしれない。
今回の出来事で、焦り、困惑し、罪悪感や憎しみまで、様々な感情を味わうことができた。
もちろんミスはなるべくしたくないけれど、自分の内面が大きく揺れ動くこういった新鮮な出来事は、これからも恐れずに味わっていきたいと思う。

