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実体験

全く関係ない「肩書き」で信頼される世の中への違和感と、現代のリアル

実体験

これは前々から、ずっと疑問に思っていたことなんだけど。

例えば「A」という事柄について発信している人が、Aとは全く関係のない「前職の肩書き」をプロフィールに入れて、信頼感や権威性を出しているのを時々見かける。

Aと関連のある仕事や経験なら別に何とも思わない。
けれど、全く関係ない事柄なのに、わざわざ立派な肩書きを引っ張り出してくる感じ。

正直、なんだかな~といやな気持ちになる。

もちろん、それをすることで最初から高い信頼感を割り当てられやすくなる、という効果があるのは分かる。特に世間的に「職業バフ」がかかっている仕事に関しては尚のことだ。

他者との差別化という意味合いもあるのだろうけど、どうしても私には、それが「素の私ではやっていけない」という気持ちの弱さを隠すための肩書きに見えてしまうのだ。

「じゃあ、あなたは絶対に出さないんだな?」と聞かれたら、おそらく出す。
ただ、自分の気持ちとしてはなるべく出したくない。

なぜなら、肩書きがあろうが、なかろうが、私は私だからだ。

しかし、世間の考えは違う。

資格や実績などがあれば、それだけでジャンルは違えど自身に箔がつくし、「信頼に値する人物」として扱われる。

でも、その人の内面がとんでもない可能性だってある。
そもそも、その実績自体が「運だけ」の可能性だってあるのだ。

私も多少はそういった経験はあるし、職業バフの人と関わることもある。
それらの経験から得た結論として、上に立つ者の成功要因は「運」が殆どで、その次に「努力と忍耐」がくる、と感じた。

もちろん、それ自体は素晴らしいことだと思う。

けれど、それをダシにして(全く違う分野で)信頼を得ようとする構造や、そして実際に簡単に信頼が得られてしまう世の中の仕組みには、些か疑問を抱いてしまう。

どんなに立派な肩書きを持っていたとしても、そこからその人の「内面」は一切分からないのだから。

なぜ、人は肩書きで簡単に相手を信頼してしまうのだろうか。
考えた結果、それは「人が忙しい現実に生きすぎていて、他人の中身をじっくり見る時間が取れないことの証明」なのかもしれないな、と思った。

最近は「自分を大切に」という言葉をよく耳にするようになった。
でも、自分をしっかり見る。大切にする。ということは、「他人」を見るための前段階であるように感じる。

そう考えると、肩書きという分かりやすいラベルでしか他者を判断できない今の世の中は、「自分しか大切に出来ず、他人の内面を見る余裕がない」ほどに、環境も経済も切迫しているのだともとれる。

肩書きだけで信頼が成立してしまう社会。
それは、私たちが思っている以上に、余裕のないギリギリの現実を映し出しているのかもしれない。

あとがき

生産者と消費者の関係だから、前提にそこまで相手のことは見ないだろう。という考えが浮かびました。ごもっともすぎてなんも言えなかった。

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