以前、私は知人に「結婚して子どもがいないと、私の人生には意味がない」と相談したことがあった。
当時は絶賛婚活中で、精神的にかなり追い詰められている時期だった。
婚活をしていても「結婚したい」なんて気持ちはちっとも湧いてこないのに、
年齢や常識、何より「世間一般のレールに従わなければ」と思い込んでいる自分が、それ以外の生き方を許さなかったのだ。
だからといって、これからの自分の人生を悔いなく生きられるほど、
自分自身の責任を背負う覚悟もできていなかった。
そんな私に、相談した相手はこう返してきた。
「結婚して子どもができて、君自身の挑戦ができなくなったとしても、それでも子どもがいれば幸せなのか?」
当時の私は、この問いに全く答えることができなかった。
今思い返せば、その理由は明白だ。
私自身は、婚活も子どもも、本当は必要としていなかったからだ。
「子どもを作らなければいけない」
そう思い詰めていたのは、あくまで自分の深層心理にこびりついた“世間の声”の反映でしかなかった。
相談に乗ってくれた人は、私のそんな矛盾を見抜いていたからこそ、あのような返しをしてくれたのだろう。
ただ、この相談のあと、私は結構悩むことになった。
共に生きてくれる人はいてほしい。
一人で生きていくのは、あまりにも寂しいからだ。
しかし、その孤独を埋める役目が、必ずしも「旦那」や「子ども」である必要はないのだと気がついた。
どこかでずっと、「子どもを持つことが幸せ」という昔ながらの価値観を、私自身が素直に信じ切れていなかった。
もし本当に子どもと関わりたいだけなら、里親という選択肢だってあるはずだからだ。
そして一つだけ確信していることがある。
たとえ結婚しても、子どもができても、私はきっとまた違う人生を羨ましく思うだろう。
「あっちの人生のほうが良かったんじゃないか」
そうやって隣の芝生を青く見てしまう未来が、容易に想像できるのだ。
つまり、問題は「結婚しているか否か」という環境ではない。
私自身の、心の問題なのだ。

