数年前、私はプロジェクトで共同者と揉めたことがあった。
結果的に、私はそのプロジェクトを降りた。
残った人たちでプロジェクトは進んだが、私はなぜあの時、あんなにも携わりたくないと感じたのか、その理由がずっとわからなかった。
ただ漠然とした苦痛を感じ、一刻も早くこの場から身を引きたい。
それだけを考えていた。
そして数年が経ち、私はようやくあのプロジェクトがなぜ嫌でたまらなかったのかを理解した。
今回はそんな私が「逃げた」と思っていた行為が、自分を守る防衛策だった事に気が付いた出来事を、纏めてみる。
「サポートする」という言葉の裏側
当時、私はそのプロジェクトの全くの初心者だった。
だから、自分の力不足や環境、状況もすべて説明した。
それに対して相手は言った。
「その部分もサポートするから、その上で共にやろう」
しかし、いざ始動すると私の話はなかったかのように都合よく扱われることになった。
共同者は自分がやりたい所だけを行い、 味のない部分は私に。
不安を相談しても「色ちんさんなら大丈夫ですよ」と一蹴され、一切取り合ってもらえなかった。
挙句の果てに、終わった後の片付けまで押し付けられ、分け前も少なくされると話し始めた辺りで、私は確信した。
「この人、私を人として見ていない」
言語化できなかった「あの日」の決断
「搾取される物」としての扱いに嫌気がさし、「自分である必要性を感じないから降りたい」と伝えた。
しかし、相手は「そんなことはない」の一点張り。
この時はなぜ、自分がこんなに嫌なのか、理由がわからなかった。
だから、どうしても的外れな発言しかできなかった。
結果的には、「あなた達を信じた私が悪かったから降りさせてくれ」という、否定することができない言い方に変えて、ようやくプロジェクトを降りた。
今振り返れば、もっと早く降りるべきだったと思う。
だが、理由すら言語化できない当時の私には、それが精一杯の抵抗だった。
2年経って気づいた、怒りの正体
当時の私は、押し付けられたのが苦手な分野だったので、そこから「逃げたかった」のだと思っていた。
逃げだとしても、自分の心が穏やかになれるならそれでいい。
そうやって、無理やり折り合いをつけていた。
でも、今こうして自分の気持ちを紐解いたとき、それは逃げではなかったのだと気づいた。
自分を都合の良いように扱い、気持ちに寄り添わない姿勢。
その「尊厳の搾取」に対して、 私は心の底から失望し、怒りを感じていたのだ。
ここまで気が付くのに、2年かかった。
なぜ、ここまで自分の気持ちがわからなかったか。
それは相手が最後まで、「表面的には協力者の顔」をしていたからだと思う。
それによって「相手が悪いわけではない」という考えの偏りが生まれ、 矛先が自分に向き、自己否定につながってしまったのだ。
あの時の私へ
今、2年前の自分に言葉をかけられるなら、こう伝えたい。
「あの時、自分の『嫌だ』という感覚を信じて、 あの場を離れた判断は大正解だ。」
私の行ったことは、逃げなんかじゃない。
自分の尊厳を守るために戦ったのだけなのだから。
本当、お疲れ様でした。

