ブログを書いている最中の私は、いつだって少しだけ「神様」の気分。
画面に向かい、キーボードを叩く。
社会の荒波を必死で泳ぎ切ったわけでもない甘ちゃんの私が、さも世の真理を知り尽くしたかのような「ドヤ顔」で持論を展開している。
「お前ごときが何を知ってるんだ」と誰かに突っ込まれればそれまでなんだけど、文章を書いているその瞬間だけは、万能感に酔っていられるのだ。
けれど、記事を書き上げ、「公開」ボタンを押した瞬間に魔法は解ける。
脳内の冷静な裁判官が、耳元で冷ややかに囁くのだ。
「…で、どの口がそれを言うわけ?」
痛い。実に痛い。
私は結局のところ、「全能感」という麻薬が欲しいだけなんだろう。
自分の人生のすべて、ひいては世界の片隅くらいは、自分の思い通りにコントロールできると思い込みたい。そんな傲慢な願望が透けて見える。
でも現実はどうだろう。最近は何をやっても裏目に出る。
運が悪いとか、相手のせいだ。とか言えれば楽なのだが、悲しいことに原因の多くは「私の咄嗟の反応」にあるからどうしようもない。自分自身の未熟さが招いた結果である事を実感するたび、脳内裁判官は「愚かな生き物」とハンコを押す。
以前の私なら、この自己矛盾に耐えきれず、半パニックになっていただろう。「こんな自分は自分じゃない!」と喚き散らしていたかもしれない。
しかし、今の私は妙に落ち着いている。情緒は驚くほど安定しているのだ。 ただ静かに、上から自分を見下ろしているような感覚。「また愚かなことをしている」「滑稽だな」と、他人の失敗を眺めるように自分を冷笑している。
これが厄介だ。
感情的になっている時の自己否定は「気の迷い」で済ませられるが、冷静な頭で弾き出された「お前は無能だ」という結論は、ぐうの音も出ないほど的確で、鋭利だ。
皮肉屋の自分が、自分自身を信じられなくさせていく。
冷静に、確実に、自分の足元を掘り崩していくこの感覚は、安定しているのに、息が苦しい。
大人になるというのは、こうやって「諦め」と「皮肉」を飼い慣らすことだったろうか。
そんなことを思いながら、今日もまた、ドヤ顔でキーボードを叩く準備をするのであった。


