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知能検査のあとで

知能検査を受けたあと、私は自分の現実に向き合わざるを得なくなった。
結果を前にすると、考えれば考えるほど「自分は愚かで、存在する意味がない」と思えてしまう。

この社会は資本主義で成り立っている。能力がなければ生産する側には回れず、ただ消費されて終わる。今回の検査は、まるでその事実を突きつけてきた。私は「能無し」だと。これからも消費だけの人生を送るのだろう、と。

唯一褒められたのは処理能力だった。だがそれはあくまで私の中での「相対的な高さ」にすぎない。一般的に見れば特別な数値ではなく、臨床心理士の言葉も、子どもに向けられるような慰めにしか感じられなかった。

IQという数値はときに人間関係を分断する。20以上差があれば会話は噛み合わないと言われる。私は人と話すたび、相手を「普通か、頭が悪い」と思ってしまうか、逆に自分の愚かさを突きつけられるかのどちらかだ。いずれにせよ、安らぎはない。

そうして思考を深めるほど、自分が掲げてきた信念や考え方すら「バカの戯言」に見えてくる。私を嘲笑してきた人々の言葉が、正論として響いてしまうのだ。自分はただの愚か者で、生きる価値すらないのだと。

受け入れようとすればするほど、心は沈む。しかし受け入れなければ成長はない。私は普通の人のように自然に理解できないから、転びながら一つずつ学ぶしかない。そんな自分を最悪だと感じつつも、それが現実なのだろう。

立ち直るには、まだしばらく時間がかかりそうだ。

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