最近、仕事の中で、相手の困りごとや家族の悩みに寄り添い、解決に導く機会があった。
感謝されるたびに、私の中には「人に頼られたことが嬉しい」という気持ちと、「問題を解決できた達成感」が湧いてくる。
でも、ふと気づいた。この嬉しさって、実は「他人軸」から来ている感情なんじゃないか?
人に頼られても、心が回復しなかった
ある時、対人関係をいったん手放し、自分ひとりの時間を取ることがあった。
そのとき、私は何もしないことを選び、ただひたすら寝続けた。
すると、朝の気分が驚くほど軽くなっていた。ストレスが減っていたのだ。
つまり、私は「人のために動くこと」が疲れの原因になっていたのかもしれない。
感謝されること、頼られることに一時的な安心や高揚はある。
でもそれは、「自分が必要とされている」という承認欲求が満たされていたからに過ぎなかったのかもしれない。
自分の“本音”はどこにある?
「人に頼られることが嬉しい」「問題を解決できたことが誇らしい」
── そう感じていたけれど、もしかしたらその根底には別の願いがあるんじゃないかと思った。
それは、「未来を明るく感じたい」という感情だ。
落ち込んだ理由と、“未来志向”という資質
私は過去に Gallup のストレングスファインダー(自己分析)を受けたことがある。
その中で、最も高い資質に挙がったのは「未来志向」だった。
でも最近、知能検査をきっかけに、自分のIQの低さに直面した。
その瞬間、私の中で未来のイメージがごっそり崩れ落ちた。
「私はもう、望む未来を築けないのではないか」
そう思った途端に、強烈な落ち込みがやってきた感じだ。
でも、不思議なことに、「未来を変える方法」や「夢を叶える物語」に触れると、心がふっと軽くなった。
その時に私は、「未来に明るさを見出せるかどうか」が、生きる力の根っこにあるんだと確信した。
私が“手放す”理由
私は昔から、ある程度続けたことでも、割とあっさりと手放す癖がある。
長く引きずることは少ない。でも、それを「夢から逃げてる」と責めたこともあった。
でも、今思えば、私の中にある高い処理能力(当社比)が、未来の結末を無意識に先読みしているのかもしれない。
そして、「今の努力に、未来の見返りが釣り合わない」と判断すると、手放してしまう。
それって、むしろ自分の感覚をちゃんと使って判断してるってことかもしれない。
だとしたら、「私って意外とよくやってるじゃん」って思った。
見たい未来があるか、で私は動く
「頼られて嬉しい」も「解決して誇らしい」も、
その先にあるのは、「自分の未来を明るくする実感が持てるかどうか」なんだと思う。
だから私は、こう自分に問いかけてみたい。
私が求めている“未来の結末”って、なんだろう?