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学生に現実を見せ続けるのは酷だろ。

日々の出来事

学生の子と将来の話をする機会があった。
「やりたいことある?」と軽く聞いただけなんだけど、返ってくるのはほぼ安定志向の回答。

別にそれが悪いわけじゃない。
ただ、まだ社会の波に揉まれた経験もない段階で、安定が最優先に出てくるというのは、ある意味でもう未来を見る視力を奪われてるというか。

もちろん、その事について、踏み込んで意見をすれば今の時代は即アウト。
将来の話を深掘りしただけでセクハラ・パワハラの即死コンボが決まるので、私は安全地帯から「うんうん」と傾聴に徹していた。
…本音では、もっと聞きたかったけど。

ただ、その“安定”という言葉の裏側には、
「自分の未来を描ける環境が最初から用意されてない」
という、静かで大きな絶望が隠れてる気がして、勝手に胸が痛くなった。

そして恐ろしいのは、本人たちがそれを理解してることだ。

ネットでは「最近の若者は常識がないww」みたいな雑な叩きが転がってるけど、実際は氷河期世代と同じく、輝かしい未来を奪われスタートラインに立たされて、最初から“現実の方が強い”世界で育ってる。

だから今の“推し文化”が過剰に盛り上がる理由も分かる気がする。
あれって現実に希望を抱けないから、
せめて誰かの物語を間借りして生きようとする自己救済なんだと思う。

「自分じゃ何にもなれない」って悟った時、人は他人の輝きに自分を投影し始める。
別に悪いことじゃないけど、時代の歪みは見える。

一方で、学生は“保護されているように見える”。
でもその保護はほとんどが、「大人が面倒事を避けるためのバリア」として機能している気がしてならない。

家族構成を聞くのもNG。
学生に触れたら訴訟リスク。
教師も大人も距離を置くしかない。

それは守ってるんじゃない。
ただ、責任を取りたくない大人の安全確保だ。

結局、日本は子どもを守れないほど余裕がなくなった。
“守るべき未来”より“自分の身”が優先される社会。
その中で育つ若者の人格形成は、どうしても不安定にならざるを得ない。

そんなことを思って、ちょっとだけ暗い気持ちで帰った日の話

※しかし別目線で見るとこの感覚が180度変わるので、この仕組みをが全悪とも言い切れない。

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