大人になるということは、ある意味で「人間性の喪失」でもあると思う。
社会に適応するため、私たちは少しずつ自分の尖った部分や個性を削ぎ落としていくからだ。
でも、そうやって自分を殺して生きてきたのに、30歳という年齢に差し掛かると、今度は「自分自身を取り戻していく」作業が必要になってくる。
一度は「社会で生きていく上で不要だ」と切り捨てたはずの個性を、なぜ今になって、わざわざ拾い集め直さなければならないのか?
それは、自分の「本質的な欲求」を知るためだ。
盲目的なお金至上主義から脱却し、「そもそも何のためにお金が必要なのか?」「自分は何のために生きているのか?」という、生きる本質と正面から向き合うためである。
余裕のない時代を生き抜くための「自分」
ハッキリ言って、これからの時代は「自分」がないと生きづらすぎる。
今の経済はかなりの不況だ。
日本のエンゲル係数は、なんと1980年代と同じレベルの負担量にまで逆戻りしているらしい。

そんな過酷な状況下で、自分自身の本質や「生きる意味」まで見失ってしまったら、本当に何のために毎日息をしているのか分からなくなってしまう。
実際、普通に生活していても、以前より明らかに人々の心から「余裕」が消え失せているのを感じる。
余裕のなさは、悪意やネガティブな感情を増幅させ、連鎖していく。
回り回って誰も幸せにならないからこそ、自分という確固たる軸を取り戻す必要があるのだ。
他人と比べることをやめると、人生は劇的にラクになる
物質至上主義から抜け出し、自分という人間の本質を理解できるようになると、「妬み」や「嫉妬」といった感情がかなり緩和される気がする。
私は本来、めちゃくちゃ負けず嫌いな性質を持っている。
だからこそ、他人と比較することで生まれるドロドロとした感情が、どれだけ自分自身に悪影響を及ぼすかは、身をもって痛感している。
「あの人と比べて自分は……」という思考がなくなるだけで、人生の生きやすさレベルは天と地ほど変わってくると思うのだ。
個性を取り戻すことの「代償」
ただ、再び自分自身の個性を手に入れると、弊害も起きる。
たいていの人は、今の環境で働くことが急に苦しくなるはずだ。
なぜなら、その仕事やポジションは「ペルソナ(仮面)」を被った自分だからこそやっていけたものだからだ。
素の自分に戻ってしまえば、違和感に耐えられなくなるのは当然だ。
でも裏を返せば、そのまま仮面を被り続けていたら、おそらく遅かれ早かれ体や精神に支障をきたして強制終了になっていたのではないかと勘ぐってしまう。
捨てたものほど、あとから大切になる
本来の自分を取り戻すには、徹底的な自己分析がいる。
それこそ、就活生時代にやったような表面的なものじゃない。
自分の価値観の根源まで潜っていくような、途方もない労力と時間が必要になる。
社会に出る時、自分が「これは不要だ」と結論を出して捨てたはずのもの。
それなのに、世の中の物事を知れば知るほどに、かつて捨てたその「個性」が一番大切だったりするのだから。
皮肉なもんだわ、ほんと。

