私は人にネガティブな気持ちを伝えるとき、「不快だ」「困っている」といった、自分の置かれてい状況を説明することが多いことに気がついた。
いざ「悲しい」や「寂しい」といった、自分自身の主観的な感情を言葉にしようとすると、心がひどくざわつく。
正直なところ、いまこうして文章に気持ちを書き起こすことすら、結構な抵抗感がある。
このことに気がついたキッカケは、知人との会話だった。
「不快だと伝えるんじゃなくて、自分の気持ちを素直に伝えれば分かってくれる事もあるよ。」
そう言われたときの私は、目から鱗が落ちるような感覚とともに、かなりの衝撃を受けた。
それまで私は、自分の感情を相手にしっかり伝えているつもりでいたからだ。
しかし実際は、環境や自分の身に起きている「状況」を報告しているだけで、自分の「心」がどう感じているかには触れられていなかった。
その事実を、人から指摘されて初めて痛感したのだ。
もともと、自分の気持ちを把握するのは苦手な自覚がある。
けれど知人の言葉を振り返るうち、私が発していた「不快」という一言の裏には、「悲しい」という感情が確かに張り付いていたことに気がついた。
…いや、正確には「見ないフリをしていた」だけかもしれない。
常に自分自身を客観視しようと努めてきたつもりだったが、それは頭で考えたことや体で感じた感覚ばかりで、心の奥底にある本当の状態には向き合わずにいたのだ。
この感覚は、正直わかる人とわからない人がいると思う。
それは精神的なレベルが高いとか低いとかいう話ではなくて、ただ単に「自分の心を見るのが得意な人」と「苦手な人」がいるというだけのことだ。
あなたは、自分の心の声を正確に捉えるのは得意だろうか?
この記事を読んでいる人に、ふとそんなことを聞いてみたいと思った。

