エニアグラムにおけるタイプ8は、ふてぶてしくて存在感がある。
行動力と度胸があり、どこか“お山の大将”のようなイメージを持たれやすい。
けれど、その分厚い鎧を剥がすと、そこには驚くほど純粋な心が隠れている事は、エニアグラムに興味がある人なら、そんな話を一度は聞いたことがあるかもしれない。
私はその言葉を耳にするたび、ある出来事を思い出す。
以前、まさにタイプ8だと思われる人と接する機会があった。
会社を経営する社長だった。
普段の彼は、自分の有能さを誇示する話や、他人を見下すような発言、あるいは「いかに自分が慕われているか」というエピソードばかりを口にしていた。
だから当時の私は、彼を「損得勘定で人を見るタイプ」なのだとすっかり思い込んでいた。
そんな彼が、ある日ふと、こんなふうにこぼしたのだ。
「自分は、対等な仲間が欲しい」
まだエニアグラムを知らなかった私は、思わずこう返してしまった。
「結構、難しいことだと思いますよ」人と対等に立つ姿勢がない、あなたには。
言葉の裏には、間違いなくそんな皮肉を込めていた。
その瞬間、場の空気が凍りついた。
彼はものすごい形相で激高し、私はひどく面食らってしまった。
一体なぜそこまで怒るのか、当時の私にはまったく理解できなかったのだ。
彼のことを「損得で動く人間」だと決めつけていたから、「対等な仲間が欲しい」という言葉も、どうせ本音ではないだろうと高をくくっていた。
もちろん、普段から舎弟のように扱っていた私に否定されたことで、「お前ごときが指図するな」という怒りもあったのかもしれない。
でも今振り返ると、あれは「むき出しの本心」を思いがけず否定されたことへの、咄嗟の防衛反応だったのではないかと思う。
タイプ8が本当に求めているのは、ひれ伏す舎弟でも、自分が上に立つことでもなく、「対等で決して裏切らない存在」なのだ。
けれど、それを強く求めるほど、自分自身の脆さや弱さが露呈してしまう。
だからこそ彼らは怒り、支配し、相手を従わせようとする。
彼らのその圧倒的な強さは、内なる純粋さを守るための分厚い鎧なのかもしれない。
エニアグラムを学んだ今、あの日の出来事を思い出すたびに痛感する。
あの瞬間、私は彼の中に隠れていた無防備な「童心」に、たしかに触れていたのだ。
そして、あろうことかその童心を、真正面から切り捨ててしまったのだと。
タイプ8は「強さの人」だと思っていた。
でも今は、こう思う。
一番強く、ふてぶてしく見える人ほど、 誰よりもまっすぐで傷つきやすい「童心」を抱えているのかもしれない、と。

