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日々の出来事

脆弱性の二日酔い。でも私は「鏡」の前に立ち続ける

日々の出来事

最近、自己分析のセミナーに参加した。
自己分析という場だから、当然のように「内面の深掘り」が始まる。

その場の空気、そして自分自身の「認められたい」という変なハイテンションに押されて、私は自分の内側をベラベラと喋ってしまった。

今、猛烈に後悔している。

親しくなく、信用できるかもわからない人たちに、自分の本心をさらけ出した自分が、あまりにもおろかで、浅はかに思えて仕方ない。

「あいつ、しょうもない人間だな」 「痛い奴だな」 そう思われているんじゃないか、口外されるんじゃないか。
そんな想像が頭を巡って、感情が異常なほど振り回されている。

「脆弱性の二日酔い」という正体

この、さらけ出した後の「死にたくなるような恥ずかしさ」には、心理学で名前がついているらしい。 「バルネラビリティ・ハングオーバー(脆弱性の二日酔い)」

お酒で酔っ払って羽目を外した翌朝のように、自分の脆さ(脆弱性)を出しすぎたことに対して、脳が「危ないぞ!」とブレーキをかけている状態だ。

今の私のぐちゃぐちゃな感情は、いわば「心の筋肉痛」か、あるいは単なる二日酔いのようなもの。

そう分かっていても、やっぱりやらかした自分が嫌いだし、辛い。
「次はもっとうまくやろう」「次は黙っていよう」……普通なら、そう反省して終わる。

他者は、私を映す「鏡」でしかない

けれど、冷静に自分の内面をさらに掘り進めていくと、エゴイスティックな本音が見えてくる。

なぜ自分が、この様な感情になると分かっても喋るのか。

それは、他者を「自分の鏡」として、あるいは「壁打ちの壁」として利用したかったからだ。

自分一人でノートに向き合っていても、見えてくるのは「自分の都合のいい自分」だけ。
でも、他人の前に自分を晒し、その反応(たとえそれが困惑や軽蔑であっても)を突きつけられることでしか得られない「本質的な客観視」がある。

相手がどう思うか、不快に感じるか。

それよりも、私は「自分が何者かを知ること」を優先してしまった。
申し訳ないとは思う。

けれど、私にとってあの場は、自分を解明するための実験場だったのだ。

後悔という名の「必要経費」

きっと私は、また同じことをする。
次の勉強会でも、またハイテンションになって、余計なことを喋り、そして帰り道に「死にたい」と後悔するだろう。

それは私がメンヘラだからでも、おろかだからでもない。

後悔してでも、他人に喋ることでしか見つからない「自分のカケラ」があることを、どこかで知っているからだ。

このひどい二日酔いのような後悔は、自分を知るための「副作用」みたいなもの。
だったら、もう存分にのたうち回ってやろうと思う。

恥をかき、おろかだと思われ、後悔に苛まれる。

その代償を払ってでも、私は私を解明することを、たぶん一生やめられない。

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