日本の教育は、全ての教科をできるようになりましょう、という方針で作られている。
言ってしまえば、全体的に60点の人間を量産するための教育だ。
もちろんそれ自体が悪いとは思わない。
その認識を一人一人が持つことは、世の中の治安を良くするという点では、
結構よく機能していると感じる。
一方で、これは人をパターン化することで、
どこか「物」に近いものとして扱いやすい教育でもあると思う。
理由は単純で、全員に同一の教育を施せば、常識や価値観がある程度揃う。
揃っていれば、人と人との擦り合わせに時間も労力もかからない。
要は、効率がいいのだ。
日本人のパターン化の崩壊
最近見た動画で、海外の人に「どんな人と付き合いたい?」と聞いたところ、
「政治的思想が同じであること」と答えた人がいた。
これはグローバリズムが進んだ社会ならではの発言だと思う。
生活圏がバラバラであればあるほど、人それぞれの常識や価値観、物事の捉え方も大きく異なってくる。
そういう社会では、最初から「同じであること」を前提にできない。
だからこそ、歩み寄りや、人としての精神的なつながりを、都度模索する必要がある。
数パターンの型にはめて対処しようとする日本の考え方より、
多様な考えを前提にした外国のあり方の方が、
結果として人と人との距離を縮める近道になっている気がする。
私自身も、決まったパターンの方が楽なので、正直なところ、このままであってほしいという気持ちはある。
でも、今の日本では不景気や人手不足が続き、海外からの人の流入も増えていく。
そんな未来では、今までのような「当たり前」や「常識」は、いずれ立ち行かなくなるだろう。
だったら、「何故当たり前が出来ないんだ!?」と人に抗って苦しむより、受け入れるための準備をしておいた方が、何倍も生きやすくなるんじゃないかと、最近思っている。

