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マインド思考

働くために生きている感覚は嫌だ

マインド

社会人になってからというもの、平日は必死に働いて、休みの土日は泥のように眠る。
楽しいことをする気力もない。

そんな状態が続いている。

ある掲示板でこのような書き込みを見かけた。

その後には、「生きるために仕方なく働くんだよ」という返信もあった。

その考え方も理解できる。
仕事は生活のために必要なものだし、誰もが好きなことだけをして生きられるわけではない。

ただ、私が引っかかったのは、「楽しいことをする気力もない」という一文だった。

私がこれまで生きてきて、うっすら分かってきたことがある。

人は、物事が行き詰まっていたり、自分の現状に満足できていなかったりすると、不思議なくらい気力が湧かなくなる。

逆に、どんなに忙しくても、自分が今の人生に満足していると感じられる状況であれば、仕事は人生そのものではなく、数ある役割の一つになる。

仕事が終わっても趣味を楽しんだり、人と会ったり、新しいことに挑戦したりする気力が残る。

つまり、気力は単純に体力の問題ではない。

「人生に満足できているか」が、仕事終わりの自分を大きく左右しているのだと思う。

同じ仕事をしていても、その日の気持ちや人生への満足感によって、一日の疲れ方が驚くほど変わることがある。

これは、多くの人が経験したことのある感覚ではないだろうか。

そして、私が本当に怖いと思うのは、「楽しみ」がなくなることだ。

仕事が忙しいこと自体が問題なのではない。

趣味を楽しむ気力がなくなり、人と会う気力がなくなり、新しいことに挑戦しようという気持ちも薄れていく。

気づけば休日は寝て終わり、また月曜日を迎える。

そんな毎日を繰り返しているうちに、人生の重心が仕事だけになってしまう。

私は、「働くために生きている」という感覚の正体は、ここにあるのではないかと思う。

だから私は、「働くために生きている」と感じてしまうこと自体を悪いことだとは思わない。

むしろ、その違和感を持てているうちは、「仕事以外にも、自分の人生を充実させたい」という気持ちが残っている証拠なのではないかと思う。

一方で、「生きるために働くものだから仕方ない」と、その違和感を飲み込んでしまうと、自分が本当にやりたかったことや、人生を楽しもうとする気持ちまで諦めてしまう危うさもある。

もちろん、それが間違った考え方だと言いたいわけではない。

生活のために働くという考え方は現実的だし、それによって救われる人もいる。

ただ、私はその考え方を自分自身に言い聞かせ続けることで、「仕事以外の人生」を見失ってしまうことが怖い。

人生に満足感を与えてくれるものは、人それぞれ違う。

趣味かもしれない。

家族や恋人との時間かもしれない。

何かを創ることかもしれないし、小さな挑戦を積み重ねることかもしれない。

そうした「仕事とは別の軸」があるからこそ、仕事は人生そのものではなく、人生を支えるための一つの役割になる。

正直、私にもまだ答えは分からない。

「働くために生きる」と「生きるために働く」のどちらが正しいのかを決めたいわけでもない。

ただ一つ思うのは、「働くために生きている」と感じてしまうことに違和感を覚えるうちは、まだ人生をもっと楽しみたいという感覚を失っていないということだ。

だから私は、その違和感を簡単に「仕方ない」と片付けたくない。

仕事は人生の一部であって、人生そのものではない。

これからも、そう思える生き方を探していきたい。

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