思春期を過ぎた頃から、自分の中にもう一人の自分がいるような感覚を抱くようになった。
最初は「外向きの自分」と「内側の自分」が分かれている程度だったが、次第にその分離は進み、それぞれが独立した個体として存在しているような感覚へと変わっていった。
だが、そうなると不思議と人生はうまく回り始めた。
外の世界では、外用の自分が適切に振る舞えば済む話だからだ。
そしてタスクをすべて終えた一人きりの時間は、丸ごと「内の自分」のものになる。
最初は、そうやってうまく均衡が保たれていた。
転機は、勢いで会社を辞めてキャリアチェンジを試みたときのことだ。
私は、それまで内の領域にあった「趣味」を外の世界へと持ち出し、仕事にしてしまった。
結果は明白だった。
趣味が仕事になった瞬間、それまでの「自由」は「義務」へと変貌し、私は一気に意欲を失った。
そんなことを繰り返すうちに、私は内の自分が大切にしていた「おもちゃ」
つまり、その存在意義を奪い取っていたのだ。
こうして書き進めるうちに、自分がいかに内の存在を消し去ろうとしていたかを思い出した。
夜中にふと襲ってくるあの絶望感は、内の自分が発していた悲鳴だったのだろう。
「私は、私を受け入れる」
この言葉をもう一度胸に深く刻み、これからは自分自身を認め、共生していこうと思う。

