ある記事を読んだ時
私は、ひどく自分を否定されているように感じた。
「人を不快にさせる“私”には、創作活動をする資格なんてない」
そう言われているかのように思えたのだ。
初めてその記事を読んだとき、私は強く動揺した。
次に、内容に対して憤りを感じ、
そして最後には、「この記事の方がおかしいんじゃないか」と疑った。
けれど、何度も読み返すことはできなかった。
読み返すたびに、あの“否定されたような気持ち”が蘇るから。
あの感情を、もう一度味わいたくなかった。
それでも、頭の中では何度もあの記事が再生される。
そのたびに感情が溢れ、全身に「傷ついた感情」が流れ込む。
――なんでこんな気持ちにならなければいけないんだ。
なぜ、こんなにも苦しく感じるのか。
その理由が、分からなかった。
だから、「現実」を見てみる事にした。
深く息を吸って、吐いて、ただ“今”を見る。
その現実は、とても静かだった。
四六時中、私のことを考えている人なんて、世界中どこを探してもいなかった。
“私”以外には。
そもそも、あの記事は私に向けて書かれたものではなかった。
そして、私を否定するような記事自体
「現実」には存在していなかった。
そう、存在していなかったのだ。
私の“色眼鏡”を外して、ただ現実を見てみると、
その記事は、なんてことのない、ただの小さなアドバイス記事に過ぎなかった。
なのに私は、それを「自分への批判」と思い込んでいた。
なぜか。
それは、私が“自分の人生”だけはすべて知っているから。
今までの経験、痛み、想い――それらが記事の言葉に重なって見えた。
つまりあれは、他人の言葉ではなく、
「私が、私自身を批判していた」だけ
それが、現実だった。