人と話している中で、ちょくちょく言われることがある。
「何でそんな自分を下げて人を上げるの?」と。
そしてこの言葉に対して私が「あ、不快にさせてしまったのか」と気がつくのは、いつも数日後だ。
なぜかというと、自分では全くそんなつもりがなく、自分を下げているという事すら無意識でやっているから。
その場で言われても、どこか他人事として受け流してしまう。
日々、自己肯定感と向き合っている自分からすると、普通に悲しい出来事だった。
無意識に、自分を下げる言葉を口にし続けている。
しかも、他者から指摘されて初めて気づく。
根本にあるのは「比較」だった
ここから気がついたことがある。
「自分を下げて、人を上げる」
これは、自分という物差しで相手を見たとき、
無意識に「上か下か」「得意か不得意か」を測り続けているということだ。
私の自己肯定感の揺らぎの土台は、すべて「他人との比較」から来ている。
実は、同じことを言われるのは今回が初めてではない。
物心ついた頃から、ちょこちょこ指摘されてきた。
でもその度に「私そんなこと言ったか?」と思って、最初のうちは気をつけるが、時間が経つにつれ忘れていく。
そしてまた最初に戻る。ずっとその繰り返しだ。
「どうにかしなければ」という言葉自体が、すでにそうだった
今後、自己肯定感が低いままではやっていけない場所に進もうとしている。
だから、どうにかしなければと思っている。
……でも、この「どうにかしなければ」という言葉自体が、
すでに自分の存在を良しとしていない証なのだ。
比較をやめられない自分と、どう付き合うか
自分の自己肯定感の問題は、他者が存在し続ける限り消えないものかもしれない。
比較をやめろと言われても、それは無意識に起きていることだから、やめようとしてやめられるものじゃない。
だとしたら、「比較をやめる」ことを目指すより、「比較している自分に気づく」ことを積み重ねていく方が、現実的なのかもしれない。
気づくだけでいい。
責めなくていい。
ただ、気づく。
それが今の自分にできる、一番誠実なやり方な気がしている。

