昨日のHSPに関する本の感想記事で、ちょっと脱線しすぎてカットした持論がある。
今回はそれを別記事として、淡々と書いていこうと思う。
HSPの特徴って、発達障害の特徴と似ている気がする
HSPの本を読みながら、私は勝手にこんなことを考えていた。
まず、「HSS型HSP」と呼ばれるタイプについて。
これは「神経が過敏であるにもかかわらず、自ら外部の刺激を求めてしまう人」のことを指すらしいのだが、私にはこれがどうも「ADHD(注意欠如・多動症)」の特性にそっくりに見えた。
そしてベースとなるHSPの特徴について。
「神経の過敏さ」や「細かい箇所によく気が付く」といった特性は、「ASD(自閉スペクトラム症)」が持つ感覚過敏や細部へのこだわりの症状に、結構そのまま当てはまる気がするのだ。
しかし、ここで一つ大きな壁にぶつかる。
HSPの大きな特徴である「対人での共感性が異常に高い」という特性だ。
これに関しては、一般的な発達障害のイメージ(他人の気持ちを汲み取るのが苦手など)には当てはまらない。
じゃあやっぱり全くの別物なのか?というと、個人的にはそうとも言い切れない気がしている。
ここからは完全に私の推測になるが、この「異常に高い共感性」というのは、発達障害の人が幼少期からの成長過程で身につけた「一般に沿わせるために発達させた『観察する力』」が、過度に育ってしまった状態なのではないか、と感じる部分があったのだ。
生来の自然な共感というより、周囲から浮かないための生存戦略として「人を観察し、空気を読む力」を極端に発達させた結果、HSPのような特性に近い存在(状態)になっているケースがあるのではないか。
もちろん、HSPを自認する全員が全員、これに当てはまるわけではない。
ただ、HSP的な症状が当てはまる「女性」に関しては、可能性の一つとしてあり得なくはないのかな、と勝手に考えながら読んでいた。
なぜ女性なのか。
以前読んだASDの本に、「女性の主体コミュニケーションは『共感性』であるが故に、社会の中で生きていく上で、否が応でも他人に合わせる力(過剰に適応する力)を得やすい」という旨のことが書かれていたからだ。
男性に比べて、女性のASDは見過ごされやすいと言われるのもこのためだ。
社会に合わせるために必死に観察力を磨き、他人に同調し続けた結果として「共感性が高すぎる(ように見える)過敏な人」ができあがるのだとすれば、それは発達障害の特性の延長線上にあると言えなくもない。
だからこそ、本当はASDやADHD由来の過敏さや過剰適応なのだけれど、表面的な特徴が一致するから「私はHSPなんだ」と認知している人も、実は一定数いるんじゃないかと思う。
どちらの枠組みで自分を捉えるのが生きやすさに繋がるかは人それぞれだけれど、HSPという言葉の裏には、そういった別の背景も潜んでいるような気がしてならない。
少し横道に逸れた持論を展開してしまったけれど、今回はこんなところで。

