プレゼントをもらったとき、気づいてしまった。
「私には、祝ってもらう価値なんてない」
相手の好意は純粋だと分かっている。
それでも、心の中の「貸し借り帳簿」が一気に赤字へ転落する。
「それ以上のことを返さなければならない」
そう思った瞬間、お祝いの場は借りをどう返すかを考える場所に変わる。
喜びよりも、負債を埋める算段が先に立つ。
なぜ素直に受け取れないのか。
私の中には、こんな考えを持っている。
「生きるための対価を払っていなければ、存在してはいけない」
価値を生み誰かに寄与して初めて、ここにいていい。
だから無償の肯定は、身の丈に合わない特権のように感じてしまう。
厄介なのは、この基準を他人にも向けてしまうことだ。
生産性のない存在を、どこかで認められない。
誰かを裁く刃は、そのまま自分を傷つける。
払拭しようとも、長年染みついた思考は簡単には消えない。
だから今は、この居心地の悪さを否定せずに観測してみようと思う。
受け取れない自分も含めて、いったんここに置いておく。

