文章を読んでいて、動画を見ていて、
ふと「今までの自分の生き方を責められている」と感じる瞬間はないだろうか。
物事がうまくいかないとき。
常識に従えないとき。
人のためになれないと感じるとき。
そういう瞬間に、自分の存在価値を疑問視して、自分の在り方を自分に問うてしまう。
でも、ここで一度立ち止まってほしい。
その本や記事は、本当に「あなたを責めている」のだろうか。
周囲が敵に見えるとき、本当の敵はどこにいるか
外からの言葉が攻撃に聞こえるとき、多くの場合、攻撃しているのは外じゃなくて自分自身だ。
「理想通りに生きられていない自分への憎悪」が、外からの言葉に投影されて、自分に向かって返ってくる。
そもそも大前提として、他人はあなたが思うほど、あなたに感情移入していない。
誰かのアドバイスや文章は、ほとんどの場合、あなた個人への攻撃じゃない。
何気ない言葉が刺さりすぎているとしたら、それはあなたがすでに自分を責めているサインかもしれない。
完璧主義と、自己罰の関係
私自身の話をすると、無意識に自分を責めていることが往々にしてある。
その根っこには、完璧主義がある。
自分の思い描く自分から外れたとき、私はひどく自分に失望して、
その感情を八つ当たりのように自分にぶつけてしまう。
この感情は、すぐには直せない。
でも、この感情に気づくことで、自分の視野が思ったより狭まっていることには気づけるようになった。
それだけでも、少し違う。
「優しさを受け取れない自分」に気づくこと
メンタル的に追い込まれているとき、
余裕がない人ほど自分を責めやすくなる。
そして皮肉なことに、そういうときほど人からの優しさや励ましが素直に受け取れない。
「どうせ自分には当てはまらない」
「これは自分へのメッセージじゃない」と、
無意識にはじいてしまう。
自分を罰していることに気づいたとき、まず「自分に優しくするにはどうすればいいか?」と考えてみてほしい。
答えはすぐに出なくていい。
ただ、その問いを自分に向けること自体が、すでに一歩だ。
あなたはもう、十分頑張っている
もし生きづらさや完璧主義を感じている人がこの記事を読んでくれているなら、一つだけ自分に問いかけてほしい。
今、自分を追い込んでいないか。
自分に期待しすぎていないか。
あなたはもう、十分頑張っている。
その頑張りはあなたの長所だ。
でも頑張りすぎて自分が疲れ果ててしまえば、本末転倒になってしまう。
だから、自分の気持ちに気づく頑張りも、少しだけしてみてほしい。

