何もかもうまくいかない時期があった。
その頃から、私の顎に大きくて大量のニキビができるようになった。
顎にできるニキビはストレスが原因であることが多いらしい。
今までできたことがない場所だったけれど、「そうはいっても薬を塗って生活習慣を整えれば治るだろう」と高をくくっていた。
しかし、ニキビが消えないまま半年が過ぎた。
治る気配のないニキビは次第に日常に浸透し、顔にあるのが当たり前のようになっていた。
私生活の方は少し持ち直したものの、仕事での私の立場はさらに悪くなっていた。
仕事がつらい。なんで自分はこんなに役立たずなんだろう。
きっと会社の人にも嫌われている。今は普通に接してきても、裏では私の悪口を言っていることも知っている。
悪口は言われたくない。会社の役に立たなければ、捨てられる。
「人のためにならなければいけない」
「迷惑をかけてはいけない」
「仲間外れになりたくない」
そんな恐怖や焦りに追われながら毎日を過ごしていたある時、両親がふと私にこう言ったのだ。
「別に、辞めてよくない?」
その言葉をかけられた瞬間、私の頭の中にストンと腑に落ちる感覚があった。
「技術者がいないからといって、なんで私は専門外の知識まで独学で学ばされて、必死に働いているんだ?」
「こんな扱いを受けているのに、なんで私は会社のために身を粉にして尽くそうとしているんだ?」
そして気が付いた。
「使えなければゴミ同然に扱ってもよい」という会社の理不尽な当たり前に、私自身が深く染まりきっていたことに。
自分では会社の思想になんて染まらないと思っていたのに、気づけばそれが「自分の思想」になり替わっていたのだ。
本来の自分の考えとは、全然違うじゃないか。
そう思った瞬間、まるで長年の洗脳が解けたような感覚だった。
今まで感じていた会社への不当な負い目や、無駄な忠誠心が一気に崩れ去っていった。
「会社都合で業務内容を変えられて、私にばかり変われと迫る。それは私が会社にとって『使い捨て』である証拠だ。そんなぞんざいな扱いをされているなら、私だって会社のために頑張る理由はないよね?」
頭の中にその考えが浮かんだとき、自分の中で何かが「カチッ」と切り替わる音がした。
それからだ。
行動自体は以前と何も変わっていないのに、心持ちはまるで別人のようになっていた。
もう、会社のためになんて働かない。
自分のために、自分が使えるスキルのためだけに努力する。
ここは、お金をもらいながら自分の練習ができる場所。
それ以上でも、それ以下でもない。
最低限のマナーさえ守っていれば、周囲がどうこう言う筋合いはない。
長くいるつもりもない会社で、無理に愛想を振りまく理由もない。
人の目なんて、もうどうだっていい。
私が周囲に合わせる必要なんて、どこにもないのだ。心から自然に、そう思えるようになった。
それは、今まで受けてきた日本の「従う」という教育の常識を、自らの手で手放した感覚に似ていた。
そして、驚くべきことが起きた。
この考え方に切り替わってから、半年間どうしても治らなかった大量の顎ニキビが、あっという間に消えたのだ。
やっている業務は変わっていない。ただ「考え方」が変わっただけ。
それだけで、長年悩まされていた身体の不調が嘘のように消え去った。
真面目で従順な人間は、会社にとって都合がいい。
しかし、その足並みを揃えるための努力が、自分を殺してまで行われているものなら、その思考回路は想像以上に自分自身を蝕んでいく。
仮に他人から非難されたって、笑われるような生き方だって、他人は最終的な責任を取ってはくれない。結局のところ、最後の最後まで味方になってくれるのは「自分」しかいないのだ。
それなのに、自分すら「自分の感情の敵」になってしまったら、もう逃げ場所がない。
自分自身が壊れていくだけだ。
その事実を頭に刻み込めてからは、ずいぶんと息が吸いやすくなったと思う。
外の景色も、以前よりずっと美しく感じられるようになった。
考え方一つで、自分は最強の味方にも、最悪の敵にもなる。
「自分の落としどころ」を見つけることの重要性を、身をもって学んだ出来事だった。

